町村制施行前の地図で明治21年に大日本帝国陸地測量部が測量・発行した仮製2万分の1の地形図の一部
阪、宇山、養父、上島、下島、招提の集落配置がよくわかる
養父村の東北の集落は船橋村字塚本(現在の南船橋)で船橋川をはさんで本村がある
左側の太い二本線は、京街道で穂谷川には既に明治橋がかかっている
現在の牧野小の校地は池になっている
京阪電鉄が通った後の地図で昭和4年8月30日に発行された2万5千分の1地形図と思われる
現在の養父丘が字養父山(大字養父の一部)、牧野本町が字九頭神(大字阪の一部)という地名だったことがわかる
上島と樋ノ上の間の橋が架け替わっており、塚本の北側にも橋が架かっている
右下の招提今池の北東側に学校の地図記号があり、招提小(殿二小の前身)と思われる
平成14年4月1日発行の2万5千分の1地形図
戦後すぐの写真で古くからの集落がよくわかる
牧野本町で住宅開発が始まっているが、牧野公園(阪公園)はまだ緑に覆われており、この頃までは牧野阪古墳(首塚)が残っていたと思われる
殿二小の校地は拡張前で校門の前の道路がちょうど校地の真中にあたっていたことがよくわかる
高度成長期に入り、南船橋や東牧野、牧野阪1丁目で一斉に住宅開発が始まっている
第三中学校が開校して、中学校前の道路が整備されているほか、府道枚方交野寝屋川線(水道みち)の招提口交差点以北が開通している
現在のトップワールド付近はまだ池になっている
住宅開発が急激に進み、殿二小周辺が住宅化しているほか、牧野北団地の造成が始まっている
人口増大に対応するため、殿二小、第三中ともに校地を拡張しており、牧野小の校地造成工事が始まっている
府道枚方交野寝屋川線の招提口交差点以南が開通しており、宇山町と第三中とを結ぶ道路が直線化されている
この頃までは宇山古墳群(胴塚)が道路で分断されていない
ほぼ住宅開発が済んで、牧野高校周辺から東側の市街化調整区域にしか、まとまった農地が残っていないことがよくわかる
南船橋や東牧野では住宅の建替え工事が始まっている